生きてはいない、ただ死んでないだけ

ただ「死んでない」だけの誰得なブログ

生きる

昔、自分が大好きだった番組で「笑う犬の冒険」っていうコント番組があって、その中に「生きる」っていうコントがある。

 

ネプチューンの原田さんと堀内さんの2人がテリー&ドリーというプロレスラーのキャラクターに扮して、歌いながら登場してくる。

 

 

何やら大きなため息をついているドリー(原田)。

 

「そんなため息なんてついて、どうしたのお兄ちゃん?」と弟のテリー(堀内)が尋ねると、「毎日が同じことの繰返しで、生きてる気がしないんだよ」とドリーがぼやく。

 

そんなドリーを元気づけようと、テリーが様々なイタズラをするというもの。

 

イタズラをされるドリーのリアクションが面白くて、リアルタイムで見ていた頃はテレビの前でゲラゲラ笑ってたっけ。

 

 

 

 

その頃は何も考えず面白がって見てたけど、大人になって振り返ってみると何気に深い内容だったんだなってふと考えることがある。

 

 

社会人になると毎日毎日が本当に同じことの繰り返しで、生きてる実感がしない。

 

 

最近は気が付くと「なぜ生きてるんだろう?」とか「今感じている苦しみやしんどさに意味があるんだろうか?」なんて考えてる事が多くなった。

 

 

自分でも一体何がつまらなくて、何に不満があるのかはよく分からない…

 

 

本当は「生きてることに意味なんてない」ってのはどこかで分かってて、

一方で「人生に何か意味を持たせたい」って思っている自分もいて、

でも「自分にしかできない事なんてない」って痛感して、自分はモブキャラなんだって1人で勝手にヘコむっていう…

 

この無限ループ過ぎて、たまに頭が狂いそうになる時がある。

 

 

 

 

 

「生きてるってな~んだろ?」

「生きてるってなぁ~に?」

 

 

そんな時、あの2人が歌っていたフレーズが頭に浮かんでくる。

 

 

ゴムパッチンを当てられたり、おでんを熱がったり、板の角にチョップして痛がったりと、テリーのイタズラで散々な目に合うドリー。

 

 

「テリー!!いきなり何するんだよ!!」

 

「お兄ちゃん!生きてるじゃん!」

 

「Oh~!!そうだったーーー!!」

 

 

 

結局、人って痛みとか苦しみとかそんな苦痛をたまに感じないと生きてる実感が得られないのかもしれない。

 

 

本当、人間って理不尽にできた生き物やな…

 

 

自分もそんな痛みや苦しみを冗談にして、笑い飛ばせるくらいの余裕が欲しい…

 

 

テリー&ドリーの仲直りする姿が脳裏に浮かぶ度にそう思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日もちょい考えすぎた。

取りあえず笑う犬のDVDでも見て寝よっと。

 

 

 

 

メリクリ

今年もこの日がやって来た。

 

自分にとってはただの12月24日なのだが、この日は世間一般には”聖なる夜”らしい。

 

 

自分はこれまで所謂「恋人」と呼ばれる人と一緒にクリスマスを過ごした経験がない。

 

 

更にその「恋人」同士になると「カップル」と呼ばれ、クリスマスを普通に過ごすにはこの「カップル」である事が最低条件となる。

 

 

 

 

 

「話には聞くけど出会うことがまずない」

 

 

 

 

 

そういう意味では、もはや「恋人」も「ツチノコ」も自分にとってはあまり大差がない…

 

 

 

最近はテレビで流れるクリスマスの特集を見たり、店に流れるクリスマスソングを聴いたりすると、なぜか胸が締め付けられる気分になる。

 

 

あのケンタッキーのCMで流れる曲を楽しい気分で聴けなくなってしまったのは、いつからだったろうか。

 

 

マライヤキャリーや山下達郎、竹内まりやの曲が聴こえているはずなのに、なぜか心の中は中山美穂の「ただ泣きたくなるの」状態である。

 

 

私に生まれたこと 感謝できれば あなたはいつだって 抱きしめてくれるのね

 

 

万が一自分にも出会えることがあるなら、自分にとっての「恋人」という存在はそんな人であって欲しいと思う。

 

 

毎年クリスマスは自宅で1人「ホームアローン」を鑑賞するのが、恒例行事になっている。

 

マコーレカルキン坊やに癒され、ハリーとマーヴの泥棒コンビで笑って、BGMと情景でまた1年が終わる哀愁を感じる…

 

小さい頃はVHSに録画して擦り切れるほど見ていたっけ。

 

その時は子供だからただ”ケビンと泥棒コンビの攻防”が可笑しくて見ていたけど、大人になってから見ると当時は分からなかったジョークやジェスチャーの意味なんかも分かって、より面白いと感じる。

 

中には「そんな訳ないやろw」とか「さすがに気づくでしょw」みたいな事もあるけど、そんな人間らしいミスや間違いが許容されて微笑ましさに昇華される世界は、今となってはここだけである。

 

何より1人じゃなくて、ケビンと一緒に”お留守番”が出来る。

 

どうやら自分は今年もケビンたちと一緒に過ごすクリスマスになりそうです。

 

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「メリークリスマス」と「メリークリぼっち」。

 

 

 

どちらも略せば「メリクリ」。

 

 

 

遅くなりましたが皆さん、よいクリスマスを。

おふたりさま

先日とあるテーマパークに遊びに行った。

 

とは言っても友達は全然いないし彼女もいないので、よくつるむ奴と「男2人」でなんですけどね。

 

しかしテーマパークに限ったことではないが、この「男2人」での旅行や外食っていうのがやたらハードル高く感じるのはなぜなんだろう。

 

 

「女性2人」だとワイワイ楽しくって感じだけど、「男性2人」ってなるとどことなく寂しいと思われているような気がする。

 

 

でも自分でそう思うってことは、他でもない自分自身が無意識にそういうイメージを持っているからなんだろう…

 

 

自分たちはただアトラクションを楽しみたいだけなんだけど、やはりテーマパークに「男2人」ってなると、どうしてだか決断に結構勇気がいる。

 

 

 

 

その前もそいつと2人で焼肉を食べに行こうと思って、何も気にせず電話で「2名で」って予約したら、カウンター式のカップル席に案内されたw

 

他の席に変更をお願いしたけど、他の席ももう空いてないとの事だった。

 

自分たち以外カップルしかいなくて、さすがに場違い過ぎて正直生きた心地がしなかった。

 

窓際で景色の見えるいい雰囲気の席だったが、野郎2人にはこれがまた余計に堪える。

 

せっかくの景色も楽しむ余裕はなく、適当な盛り合わせを注文して肉をご飯で掻き込みビールで流し込んで早々に2人で退散しました。

 

2人での焼肉はカップルでと相場が決まっているんだろうか。

 

自分:「あの、2名で予約した〇〇ですけど。」

店員:「あっ…はい、どうぞ。」

 

あの時の店員さんの強張った顔は今でも忘れられないw

 

 

 

それ以来そいつと焼肉を予約する時は必ず

 

 

 

 

”男” 2名で。」

 

 

 

 

って伝えるようにしている。

(あとカップル席がありそうな小洒落た居酒屋とかも)

 

 

男同士でただ楽しく過ごしたいだけなのに、なぜこんな細心の注意を払わないといけないのかが謎である。

 

 

まぁ、何だかんだ言ってても実際売れ残っている部分もあるから、そこは「何も言えねぇ」状態なんですが…

 

 

個人的には独り身の方が気楽だし、仲のいい人とつるむ方が楽しいからそうしているだけなんですが、それで何かと肩身の狭い思いをすることは多い。

 

 

 

あぶデカの「タカとユージ」はハードボイルド且つコミカルな展開が最高だし…

ジャンプでは「ナルトとサスケ」の友情に胸を熱くして…

ホームアローンの「ハリーとマーヴ」のドタバタで1年の終わりを感じ…

笑う犬は「テリーとドリー」の体を張った笑いが1番好きだった。

 

 

 

今は色んな生き方が認められつつある時代のはずなんだけど、未だに結婚しないのかとか子供を持てとか言われることはたまにある。

 

 

でも結婚願望もないのに結婚なんかしたって仕方ないし、子供だって1人で持てるもんでもないから相手がいなければどうしようもない訳で。

 

 

 

自分はやっぱり男2人が1番楽しいのでそれで十分です。

心を何にたとえよう

今日は久々に”煮えくり案件”があった。

 

仕事で確認したいことがあって職場の人に電話したのだが、なぜかそいつが急にイライラしだして、終いに「そんなこと俺に聞くんじゃねえ」とか言ってキレ始めた。

 

これ以上話をしても得られるものがなく労力と時間が無駄になるのと、とにかく面倒臭かったので、適当に流して電話を切った。

 

確かに色々聞きはしたけど、分からなければ分かる人に聞くしかないし、分からないと業務も進められない訳で。

 

電話を切った後、自分の聞き方がマズかったんだろうかと反省していると、しばらくしてそいつからメールが来た。

 

どうやら自分とは全く関係のない事で嫌なことがあって、それでイライラしてこっちにあたってきたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

は???

 

 

 

 

 

 

こっちが何か悪いことをして怒らせたんなら分かるけど、まったく関係のないことであたってくるのは本当に止めてほしい。

 

こっちにイラついてきて何か解決する訳でもないし、何か変わる訳でもないのに。

 

 

 

しかも「イライラしてしまってごめんなさい」とか書いてあるんやけど、そんなメール送ってくる意味も分からんw

 

いや実際そうやったとしても今更やし、逆に全然関係ないことでイライラされとったって分かったらこっちは余計に腹立つやろ。

 

そんな事も分からんのか、このおっさんは。

 

てか謝るくらいなら最初からやんなやって思う。

 

しかもこのメールって、ただ「ちゃんと謝った自分」に酔い痴れているだけなのであって、結局のところ自分の見てくれ整える事しか考えてないところが、なおさら腹が立つ。

 

だからと言ってここでイライラを爆発させてしまうと、こいつと同じレベルに成り下がってしまうので、「テルーの唄」を頭の中で奏でながらそっとパソコンを閉じて帰宅した…

 

 

 

 

大抵、人の不満や怒りというのは「強い立場」から「弱い立場」に向かうものだ。

 

「客」から「店員」に…

「年上」から「年下」に…

「大人」から「子供」に…

「上司」から「部下」に…

 

そしてたちが悪いのは、この連鎖がどこまでも続いていくっていう事。

 

速い車が遅い車を煽って、

客が会社に文句を言って、

会社の上司が部下にキレて、

部下が家庭にあたって、

子供が学校で子供を虐めて、

人が動物を虐めて…

 

最近のニュースでも幼児虐待や動物虐待、煽り運転などが取り上げられるのを見るたびに、そう感じる。

 

だからこの負の連鎖に巻き込まれたときは、なるべく自分の番で断ち切りたいと思う。

 

だから煮えくり案件はここに記事として書いて、それでもう終わり。

 

ここなら言われた本人は見ることはないから傷付けることもないし。

 

 

だから今後、今回みたいに愚痴の記事を書いていたら、

 

「あー、こいつまた負の連鎖を断ち切ってんなー」

 

と思って、生暖かく見守ってやってください。

酸いも甘いも

今から2ヵ月くらい前の話になりますが、コロナに感染した。

 

急遽、仕事で転勤することが決まり勤務先が変わった矢先の出来事だった。

 

前の職場は確かに田舎で車通勤だったし、それに比べるとかなり都会になったので人口も多く電車通勤になったっていうのもあるけど、にしてもこうもあっさりコロナにかかるとは思いませんでした。

 

コロナという言葉を耳にして早2年以上が経ち、そのワードに何の珍しさも危機感も感じなくなりつつある中で、「自分だけは大丈夫なんじゃないか」なんて思っていたが、それは単なる田舎者の自惚れに過ぎなかった事を思い知ることとなった。

 

自宅で夜中に若干喉の痛みを感じたものの、つけっぱなしだったクーラーのせいだと思いそのまま寝たら早朝には息苦しさで目が覚めた。

 

明らかに状態がおかしいので熱を測ってみると40℃近い発熱。

そこでこれはもう完全にコロナだと確信した。

もちろん抗原検査、病院での検査ともに「陽性」。

 

冷凍庫に入ってた保冷剤を枕代わりにしたけど、熱は下がる気配がなく溶けては冷やし、溶けては冷やしの繰返し。

 

2日くらいしてようやく熱は下がったものの、そこから全身痛、頭痛、咳、倦怠感、味覚、嗅覚異常のフルコースが襲ってきた。

 

中でも1番辛かったのは、味覚と嗅覚がなくなったこと。

 

「苦い」「辛い」「酸っぱい」「しょっぱい」「甘い」...何もない。

「無味」とも違う...

「味がない」ということも感じる事が出来ない、ただの「無」。

 

そこで気付いたのは「美味しい」と感じるためには「苦い」とか「不味い」と感じる事も必要だったんだという事。

 

コーヒーは水みたいだし、なにを食べても「酸いも甘いも」感じなくて、文字通り食事が ”味気ない”ものになって食欲がまったく湧かず、自宅療養中はほとんど口にする事ができなかった。

 

自宅療養中は何もできないということもあって、そんな時は性格上余計なことまで考えてしまう。

 

痛み、不満、悲しみ、苦しみ...

 

最近のご時世ではそんな「苦味」を感じなくて済むように色んな事を禁止したり制限している。

近年の時代背景や社会情勢を考えれば、そういった動きが起きるのはやはり自然な流れなんだろう。

 

だけどそれも過度になりすぎると、楽しみ、喜び、感動、そんな「旨味」も味わえなくなってしまうような気がする。

 

 

「天ぷら」より「コンプラ」の方が口にする事が多くなってきた今日この頃。

 

最近はテレビもつまらなくなってきたし、タバコも中々吸えないし、人同士が密接に関わったり話したりする事も難しくなってきている。

 

でもこっちの ”味気なさ” はコロナだけのせいではないような気がします。

 

単純

今日、初めて一人旅というものをしてみた。

 

旅といっても同じ都道府県内で少し遠出したくらいなので、外には出ていない。

 

元々一人旅をしてみたいという気持ちはあったけど、いざ休みができても何かとめんどくさがる性格が災いして、中々実行できなかった。

 

コロナで一人でも周りの人目が気にならなくなってきたっていうのもあるかもしれない。

 

不要不急の外出は…っていう意見もあるけど、色んな業界が苦しんでいる中で自分も社会のために何か貢献した方がいいのではという思いもあって、微力ながら社会にお金を還元することに。

 

チェックインの予定より少し早く宿に着き部屋で少しゆっくりした後、早めの温泉に入った。

 

生憎の天気だったから夕日は拝めなかったけど、太平洋を一望しながらの露天風呂は格別だった。

 

夕食の予定時刻になり会場に向かうと、豪華な料理が待っていた。

 

 

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新鮮なお造りは身が締まっていて、地元のお肉は柔らかいし、おひつの白飯は噛めば噛むほどに甘い。

 

 

そう言えばこんなにちゃんとした “食事” をしたのは、いつ以来だっけ。

 

 

いつも朝食を受け付けず、昼のサンドイッチ1個で済んでいた胃袋がまるで嘘みたいにどんどん食事を取り込んでいく。

 

 

これが温泉の効能なのか、一人旅っていう雰囲気のせいなのか分からないんだけど、

 

 

今こうして「美味しいものをお腹一杯に食べれる」っていうことがなんだか無性に幸せに感じて、

 

 

今まで色んなことを勝手に難しく考えてた自分がバカらしくなって、とにかく無我夢中で食べてた。

 

 

夢や目標を持たないといけないとか

何かで成功しないといけないとか

仕事で昇進しないといけないとか

お金持ちにならないといけないとか

結婚して子孫を残さないといけないとか

 

 

人にとってそうゆうことって本当は二の次なのであって、きっと本質は単純でシンプルだ。

 

 

「人は美味しいものを食べるだけで幸せになれる」

 

 

確かに単純過ぎるって思うかもしれないけど、

 

 

働き方や生き方やこれからの社会や経済も不透明になっていく中で、これ以上複雑に考える必要があるだろうか。

 

 

人間はただでさえ他の動物と違って複雑で面倒だ。

 

 

神様に「知恵」という恩恵を授かった反面、人間特有の「苦脳」も生み出してしまった。

 

人間関係の悩み、

満たされない承認欲求、

押し付けられる世間体や価値観

 

それらはある意味「知恵」授かった副作用でもある。

 

 

普通に生きて、普通に死のうとすることも人間にとってはなぜか大変だ。

 

だから神様は「美味しいものを食べるだけで幸せになれる」っていう単純な機能も人間に与えてくれた。

 

 

自分がこの後どんな風に生きて、いつ、どこで、どんな風に死ぬかは分からんけど、

 

コロナが落ち着いたら、死ぬまでに日本中の美味いものを食べ尽くしてみたい。

 

 

人間、単純でいいじゃないか。

ととのい4

4.感覚が敏感になる

 サウナに入ると、味覚や触覚、嗅覚などの五感が敏感になる。

 そのためなのかシェフやソムリエなど、敏感な感覚が求められる職業の人には、サウナーが多いという。

 人間の感覚を司っているのは脳の頭頂葉と呼ばれる部分なのだが、サウナに入るとこの頭頂葉の一部が活性化する。

 日常生活の中で家具や壁にぶつからずに移動できるのは、この頭頂葉が自分の体や物の距離を察知してくれているから。

 温泉上がりに飲むビールやコーヒー牛乳が格別なのも納得がいく。

 自分のお気に入りの温泉にはちゃんと瓶のコーヒー牛乳が買えて、かつ屋外にも休憩できるところがある。

 ただでさえサウナで汗をかいて喉はカラカラになっている上に、「ととのう」ことで「敏感な五感を手に入れる」というBIG BONUS!!

 そんなリミッター解除状態で屋外の風を感じて、庭で戯れるスズメの鳴き声を聞きながらコーヒー牛乳を味わう。

 これが自分の「合法的なトビ方ノススメ」である。

 

 5.肩こり・腰痛・眼精疲労がやわらぐ

 ネット社会になった現代、仕事だけでなくプライベートでもスマホやパソコンと向き合う時間は増える一方だ。

 長時間のデスクワークで肩は凝るし、腰は痛くなるし、目は疲れるし…

 現代のビジネスパーソンは脳疲労だけでなく肉体的な疲労とも戦わなければならない。

 サウナには肉体的な疲労を和らげる効果もある。

 サウナに入ると、その温熱効果によって凝り固まった筋肉がやわらぎ、血流が増加する。

 血流には酸素、熱、栄養などを体中に運ぶ役割があるが、それと同時に体内の余計なもの、つまり、 ”肉体を疲労させる物質” を運び去ってくれる働きもある。

 また、万病の元となる炎症が減り、活性酸素が減少する。

 要はこの2つの効果をまとめると、「サウナに入ることで肩こりや腰痛がやわらぐだけでなく、それらになりにくい体になる」ってこと。

 

 

 

 6.肌がきれいになり、痩せやすい体質になる

 これは特に女性にとっては嬉しい効果だ。

 しかし、「見た目によって男性の生涯年収の差は、2700万円にも及ぶ」という研究結果もあるくらいなので、男性だからと言ってこの効果を甘く見てはいけない。

 サウナで汗をかいたり血流が促進されると、肌の新陳代謝が促進され肌の調子が整う。

 また、入浴と違ってサウナでは空気中の熱で顔まで温めることが出来るので、特に顔の皮膚のケアにはもってこいなのである。

 さらにサウナに入ることで、甲状腺ホルモンが増えるので代謝が上がり、痩せやすい体質にもなる。

 

 ここでは上げることができなかったが、サウナには他にも様々なメリットがある。

 本書では医学的な観点からサウナを分析し、「ととのう」のより詳しいメカニズムから正しい「ととのい」方など、これでもかというほどサウナの魅力が詰め込まれている。

 

 多忙な日々に疲れた時、リフレッシュしたい時、仕事のアイデアが煮詰まった時、現実逃避したい時、法に触れることなく現世から ”トリップ” したい時…

 

 サウナはきっとあなたの味方になってくれる。

 

ととのい3

 サウナで「ととのう」ことには多くのメリットがある。

 

 筆者も「一石八鳥」と豪語するほどのサウナのメリットの中から、いくつか紹介したい。

 

 1.脳疲労が取れて頭がスッキリする

 体や心にも疲労があるように、脳にも疲労は蓄積する。

 人間の脳はぼーっとしている時でも実は様々なことを考えてしまっていて、それだけで脳のエネルギーの70%~80%が奪われている。しかもこれは脳が自動的に考えてしまうので、人間の意志の力ではどうすることも出来ない。

 逆に仕事や作業などで何か意味のあることをして脳を使っても、エネルギーはたったの5%ほどしか消費しない。

 本書では「DMN(デフォルト・モード・ネットワーク)」「CEN(セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク)」という2種類の略語が出てくる。

 これは脳回路の種類のことで、簡単に言えば

 DMN = ぼーっとしていて脳が意識的に活動してない時に勝手に働いてしまう脳回路

 CEN = 集中して作業を行う時に活性化する脳回路

ということ。

 

 つまり、このDMNの消費量を減らすことができれば、脳のパフォーマンスを最大限に発揮できるわけだが、こればっかりはどんなに頑張っても意志の力ではどうすることも出来ない。

 ここでサウナの出番である。

 サウナに入ると人体が過酷な環境に適応しようと強制的に思考を停止する。

 するとDMNのプロセスも強制的に停止するためエネルギーの消費量が減り、余計な思考による脳疲労を防ぐことで、頭がスッキリして集中した状態が維持しやすくなる。

 

 2.感情的にならなくなる

 何かとストレスを抱えやすい現代。

 皆さんも普段の生活の中で、思わず感情的になってしまうことはないだろうか。

 でもそういうことに限って後になってみるとそんなに大したことじゃなかったりして、思わず後悔したり恥ずかしくなったりするもの。

  自律神経は ”交感神経というアクセル””副交感神経というブレーキ” に分かれていて、互いが相反する働きをしながら上手くバランスを取っている。

 ところが多忙な仕事に追われてストレスが多いと、交感神経のアクセルばかりどんどん強くなってしまい、バランスが乱れて些細なことでもイライラしやすくなってしまう。

 はい、ここでまたサウナの出番です。

  実はサウナには、感情をコントロールしやすくなるという効果もある。

 サウナに入って「ととのう」と、"人体の生命維持システム" である自律神経がリセットされて、交感神経と副交感神経のバランスが整えられる。

 また、自律神経は筋肉と同じように刺激を受けると鍛えられていくので、日常生活においても交感神経と副交感神経の切換えがよりスムーズになり、メンタルが安定しやすくなっていく。

 

 

 3.睡眠をコントロールできるようになる

 サウナに入ると短時間で深い睡眠を得られるようになり、日中の眠気も防げるという研究結果があるという。

 現時点では残念ながら医学的な詳しいメカニズムはまだ解明されていないそうだが、これについて筆者は「脳が肉体がものすごく疲れた」と勘違いするからではないか、との見解を示している。

 サウナに入ると人体の "生命維持システム" によって、私たちの身体には短時間の間に目まぐるしい変化が起きる。

 血流量の増減、脳内ホルモンの分泌、体温調整、大量の発汗…

 もちろん実際に激しい運動をするわけではないので肉体に疲労物質は溜まらないが、サウナによって起きた体の変化を脳が勘違いして、「ちゃんと体を休めなさい」とシグナルを出している可能性があるってこと。

 自分は「 "G" の次に "朝" が苦手」というほど、とにかく朝の目覚めが悪い。

 出勤前の朝は「グラビデかけられてんのか」ってくらい、途轍もなくダルさが体全体にズーンとのしかかってきて、しばらくうずくまって動けない。

 しかしサウナで「ととのった」次の週は、なぜか驚くほどに朝の目覚めがすこぶるいいのだ。

 いつも何重にも用意しているアラームも1つ目が鳴りだす前に勝手に目が覚めるしグラビデも喰らわない。

 これもおそらくサウナで「ととのった」ことによって、より深い睡眠が得られているからなのだろう。

 

 まだまだ多くの効果があるサウナ。

 今回はちょっと書ききれんので、続きは次回の記事で書くことにする。

 

 

ととのい2

 「ととのう」とは、サウナー用語の1つで「サウナ後の心身ともに調子がいいと感じられる状態」を指した言葉だ。

 

 これは普段私たちが使っている「整う(きちんとまとまった状態や形になる、調和がとれるの意。)」という言葉から来ているのだろう。

 

 

 サウナーでもある筆者は、「ととのった」時の感覚を次のように書いている。

 

 その(ととのう)感覚は人によって表現方法も違いますが、私自身は、ととのいイス(外気浴をする時に座るイス)に座って目を瞑り、頭がスッキリしたと実感できた時に、「ととのった」と感じます。独特の浮遊感と、体の輪郭があいまいになるような感覚もあります。

 リラックスはしているけれど、眠いわけではなく、むしろ清明に意識は晴れています。そしてサウナに入る前は気づかなかった匂いや、換気扇の音、着替えのときのTシャツの肌触りなど、通常は気づかないことに敏感になります。

 

 

 こうして見ると、”おっさんのイチモツ” か ”Tシャツの肌触り” かという違いはあれど、「トリップ感」や「意識が冴えた感覚」という点では、前回の記事で書いた僕が経験した感覚とかなり共通するように思える。

 

 

 じゃあどうしてサウナに入ると、人は「ととのう」のか?

 

 

 その流れを簡単に書くとこんな感じだ。

 

 

 サウナでの高温状態というのは、人体にとってはまさに「非日常的な危機的状況」である。

 サウナに入ると私たちの人体は、この ”100度近くある超高温” という危険な環境に対応するために全集中する。

 次に水風呂で体の芯から極限まで熱せられた体が、今度は冷水につけられる。

 さっきまで極限に熱い環境に対応するために集中していた人体は、いきなり極限に冷たい環境になったので当然びっくりする。

 しかしびっくりしている暇もなく再び生命の危機を感じるため、人体は自律神経、心拍、血圧、血流量、脳内ホルモンなど持てるすべての力を総動員して、環境に適応しようとする。

 そして外気浴でようやく生命の危機を脱したと判断した人体は、急速に総動員していた力を緩めていく。

 するとエネルギーの浪費が止まり、脳の動作が軽くなって頭はスッキリとして、血流量も増えるので肩こりや腰痛も和らぐ。

 

 

 こうして心身がコンディショニングされ「ととのって」いくというわけ。

 

 

 ちなみに、ソープランドで心身ともにスッキリする前に座るイスは "すけべイス"と言います。