「チキン」の「社畜」による「自由」のためのブログ

とある普通のリーマンが社会的な独立または転職を目指す奮闘記。

第5章 永遠の別れ

ついに著者が手術によって、声帯を全摘出することになります。

 

モーニング娘。のニューヨーク公演を見届けてから、日本に戻ってきて手術を行ったそうですが、この時の喉の状態はかなり悪化しており、帰りの機内では普通の呼吸も出来ない状態で酸欠による頭痛も併発していたと言います。

 

歌手が声を失う。

 

大好きな歌を歌うという事が出来なくなるという事は、信じられないくらい辛く苦しいことだと思います。

自分が大事にしている物を奪われる訳ですから、それこそ自分の最愛の人や子供と永遠の別れをするのと同じような感覚なのではないでしょうか。

自分は歌手ではありませんが、自分がもし突然そんな事になってしまったら、生きる意味さえも失ってしまうかもしれません。

 

しかし著者は強い意志をもって、今まで支えてくれた家族と一緒に生きるために「大事にしてきた声を捨てる」という決断をしました。

歌手として一番大事にしてきた声を手放す。

そして、僕は、生きる道を選ぶ。

歌えなくなれば仕事に支障は出るけれど、工夫次第できっとなんとかなるはずだ。

今、手術すれば生き残れるんだ。

それで十分じゃないか!

この状態でそれ以上、何を望むんだ!

と、自分に語りかけていた。

 結論は出ていたと語る著者ですが、しかし最後まで心は揺れていたと言います。

手術の前日、これが最後になるであろう自身の声で奥さんと子供たちに語りかける場面がとても印象深いです。

 ゆっくりと小さな声で子供たちと話をした。

長男には、「お母さんの言うことをよく聞きなさい。この家で唯一の男の子なんだから、お母さんのことを助けなきゃダメだよ」。

長女には、「素敵な声をしてるんだから、歌の練習をもっとしようね。お父さんの分も歌うって前に言ってたもんね」。

次女には、「お姉ちゃんを見習ってお勉強も頑張るんだよ。大好きだよ……」。

それぞれに短いメッセージを伝える。

 

本当にありきたりなこと。

どんな親でも言うようなこと。

 

これが、自分の声帯で発した子供たちへの最後の言葉だ。

その後、妻にもいくつかのメッセージを伝えて、最後に、いろんな口調で、妻の名前を何度も読んだ。

これからも、何万回となく呼べるものだと思っていた、妻の名前……。

妻は泣きながら、僕の声を聞いていた。

 友達と何気ない話をする、笑い声を出して笑う、大好きな人や子供の名前を呼ぶ、「ありがとう」と人に感謝を伝える、「ごめんなさい」と人に謝る……。

 

声を出すことが出来るのは、決して当たり前ではなく恵まれているんだと、改めて感じさせられました。

 

声で発する言葉は人を傷つけたり悲しませたりすることも出来るし、はたまた喜ばせたり元気にしてあげることも出来ます。

 

皆さんは神様が与えてくれたその恵まれた声を、どんな風に使いますか?