生きてはいない、ただ死んでないだけ

ただ「死んでない」だけの誰得なブログ

ぼくはいつ大人になるの?

 この本は、あたかも子どもが哲学者に向けて問いを投げかけているような構成になっており、それに対する何人かの哲学者の回答が記載されています。

 

「子ども」の定義をまずはっきりさせるという意味では、今回のテーマは「子どもの難問」というタイトルの本を読むにあたって、まさにおあつらえではないでしょうか。

 

大人とは、遥かにとおい思いをいだく存在である

熊野 純彦

そもそも「子ども」とは何なのか?「大人」とは何なのか?

 

単に年齢を重ねれば大人になれるんでしょうか。

しかし、中学生くらいの年の子に「大人になったね」と言う場合もあれば、逆に四十も過ぎたおっさんに対して「あいつは子どもだ」なんて言うこともありますから、やはり年齢だけで片付けられる疑問ではなさそうですね。

この「子どもだ」という言葉には、たいてい「自分勝手」とか「自分以外のことを考えない」といった意味が込められています。

子どもとは自分の欲のままに自分勝手に行動しますが、それはその自分の行為で困ったり悲しんだりする周りの存在、つまり「自分以外のもの」の存在をほとんど知らないからです。

 

今回の哲学者さんはそんな背景も踏まえた上で、自分と同じくらい大切なもの、かけがえのないこと、置き換えの出来ない人、そうした何かを知ることが「大人になる入口だ」と答えています。

そしてさらにその大切な何か、かけがえのない何かを失う、大きな何かを諦めることで、その時の切なさや懐かしさ、という「思い」を覚えることで本当の大人になるのだと書かれています。

それまではただの「子ども」、ある意味では「幸福な」子どもであった存在が、じぶん以外のもの、こと、ひとを考えざるをえなくなります。じぶんとおなじくらい大事、あるいはもしかするとじぶんよりも大切ななにかと感じてしまうことになります。

(中略)

ほんとうに「大人」になるためには、その大切ななにか、かけがえのない或るものを失うこと、大きななにかを諦めることが必要な気がします。

れまで「子ども」だったものは、そのとき、「切なさ」とか「懐かしさ」を覚えることになります。「切なさ」や「懐かしさ」は子どもには理解しにくい感情なのです。

 

人生生きていれば、好きな人と別れたり、大事な人を失ったり、夢破れて諦めてしまったり、辛いことも色々あります。

でもそうした経験が、自分を大人にしてくれるんだと思うことが出来たなら、そうした人生の苦労にも、意味を見出せるような気がしませんか。(^^♪