人はただ一度の人生を死の観念で引き締める
雨宮 民雄
死の始まりや死の状態については、何の情報も得られないので、考えたり語ったりすることは出来ない。
しかし私たちは、闇の中でも手探りで物を探すように、死というすべての終わりに対しても、その先の死後の世界などを考えて語ろうとする。
大抵、死後の世界というものは善く生きた人が行く「天国」と悪いことをした人が行く「地獄」に分けられる。
これは、そういったイメージによって「善く生きる」ことを促し、「悪いことをしない」ように戒め、私たちにどのように生きるべきかを問いかけている。
「死んだらどうなるか?」という問いは、ときに生きることからの逃避として捉えられるが、逆に人が生き残るための作戦だったのではないか。
人は死を絶えず思い起こす事で、リセットのきかないたった一度の人生の質を、高めようとしているのではないか。
時々テレビとか映画で不老不死になるために、悪いことをする悪党がいたりしますが、自分は不老不死にはなりたいとは思いません。
よく人生はマラソンに例えられたりしますが、マラソンも42.195kmでゴールがあるから頑張れるわけで、桜も散ることなく年中咲いてたら、ブルーシートで席取りしてまでお花見したりしないですよね。
死は誰にも平等にやって来ます。
だからこそ生きている今に感謝して、頑張りたいですね。
じゃあ、仕事行ってきめす。